私は米寿をむかえました。幸いにしてプロミスを東証一部上場企業に育て上げることができ、また平成元年から始めた念願の「国際福祉事業」も軌道に乗りましたが、今一つ、私には、どうしてもやり遂げたい「夢」があります。それは、「北海道の開拓民となって、新しい農業を実践し、それを広めることです」
 農業は人が生きていく上での原点にもかかわらず、疎かにされている現状は憂うべきものがあります。私は長年温めてきた「理想の農業」というものを実証、確立させ、経済的にも精神的にも豊かな暮らしができる営農モデルを作り、平成の開拓村として広めていきたい。その新たな夢に向かって残りの人生を賭けて走り出しました。
 私が農業にこれほどの夢を抱くのは何故か。それも生まれ故郷ではなく、北海道に拘る訳は―。
私は大正15年8月、香川県の小作農の三男として産声をあげました。当時、小作農は苦労して作った作物の半分を地主に納めなければなりませんでした。私は「よし、それなら農業で成功し、地主さんの何倍もの大農家になってやる」と子どもながらに想っていました。
 15歳の時、香川県立木田農業学校(現・香川大学農学部)に進学。北海道に2ヶ月程派遣されました。17歳の私には、どこまでも続く大地はまさに夢の新天地。私の心の中に「北海道」の文字が強く刻み込まれた最初の瞬間でした。
19歳で迎えた終戦。国民は食糧の買い出しに目の色を変えていました。それを目の当たりにし、「これからは農業だ。北海道で自分の農業をしたい」と思ったとき、偶然にも北海道の開拓実習訓練所のことを知ったのです。とるものも取らず、香川県から北海道まで汽車を乗り継ぎたどり着きました。忘れもしない、真冬の2月のことです。しかし受付は終了しており、懇願の末、補欠での受付をしてもらえたものの米の配給が閉ざされ、取り消し。凍り付く真冬の北海道には働くショク(職)はなく、食べるショク(食)もなく、進退窮まった状態。止むをえず援農先から汽車賃をお借りし、再挑戦を心に誓いながら郷里に戻りました。
郷里に戻った私は、半ばやけになり広島県の造船所の工員に応募したのですが「百姓の子は、百姓の仕事をすべきだ」と忠告してくれた友人の言葉に奮起し、無給ながら農業試験場に職を得、1年後には農林省の香川作物報告事務所(現・統計情報センター)に就職。農林統計の一端を担う仕事に従事できたのですが、24歳で農業の世界から身を引かざるを得なくなったのです。自分の天職と惚れ込んでいた農業を諦める辛さは言葉にできないほどでした。
それから50年、70歳を迎えた時。北海道で600ヘクタールの土地が手に入るという話が舞い込んできたのです。「これだ!念じれば通じる、やはり私の果たすべき役割は北海道での農業だったのだ」と。早速、農業生産法人「神内ファーム21」を設立。計画実現の準備に入りました。
「終戦直後、日本の復興は農業の再建からと言われていたように、21世紀の今、日本の農業は再び新たなスタート地点に立っている。高い関税や補助金に守られてきた農業のあり様が崩れようとしている」そうした中で北海道は、日本の農地の25%を集積しながら、農業産出額は11%。それは何故か。1年の半分を雪に閉ざされ生産性を失っているからではないか。ならば、雪を克服することで飛躍的に生産性を上げることが出来るのでは・・・そこで神内ファーム21の基本コンセプトを「克冬制夏(こくとうせいか)-冬を克服し夏を制御する-」と定めました。 ハイテクを駆使した施設の中でなら冬でも様々な作物を安定生産することが可能と考え、植物生産工場「プラントファクトリー」を建設。2,675坪の施設の中には太陽光、人工光の温室などを備え、野菜の安定生産の研究を行っています。
「北海道特産物には手を付けず、新しい作物を見い出し、画期的な産地形成を作出して規模拡大につなげる」ことを目指し、暖房付きフィルムハウスを建設。バナナ・パパイヤ・マンゴー・イチジクなど、冬場の北海道では不可能と思われていた果実の栽培に取り組んでいます。  輸送の問題から、完熟の南国果実を食することのできなかった北海道民に、本当の美味しさを味わってもらいたい。そして北海道農業の新たな可能性を見い出し、農業者にも喜んでもらいたいと念願しています。
一方、日本全体の約8割の草地がある北海道の優位性を生かして、酪農の他に肉牛の繁殖を行い、現在の和牛と同じレベルの味の牛肉を、輸入牛肉に近い価格で消費者に供給することを目指しています。
第1次産業の農業、第2次産業の加工、第3次産業の流通、これらを総合し、「生産・加工・販売一貫体制」を第6次産業と名付け、農業からスタートした新しいビジネス形態の創出を考えています。「農業者は単に作物を作って、それで終わり」ではこれまでの二の舞です。
 これからの農業を考える度、様々なアイデアがあふれ出てきます。しかし、情熱は人一倍あっても、時間は人並みです。何より体力の衰えは否めません。そのため専門家に任せられる部門は専門家の手でと、2003年12月財団法人北海道農業企業化研究所を設立。北海道農業が企業として成り立つための調査研究を行っています。  その一方、就農者を育成するため、老若男女を募って素人集団「夢現塾」を始めることにしました。私は経営感覚と私財を出す。そこに知恵を出し汗を流す農業者が集って「理想の農業」を、一緒に目指したい。素人集団ならではの新しい発想で、北海道農業に新しい分野を確立できるのではないかと、期待しているのです。
神内ファーム21は、農業者のビジネスの場であり、人も動物もみんなが心豊かに暮らせる場でもありたい。そんな願いからラベンダーを始め、桜・林檎等の果樹を植栽しました。春は桜並木を散策、夏にはラベンダー畑で憩い、果実が実れば摘み取り大会と素晴らしい景観づくりを実現。牧場では馬が颯爽と走り回り、その馬と浦臼小学校の子供たちで騎馬隊を結成、乗馬倶楽部も計画しています。夢現塾の卒業生は神内ファーム21内で独立し、お互いの知恵と技術を競いながらも助け合い協調し合える安らぎのある農場生活を送ってもらいたいと思っています。  今後、温室フィルムハウス22棟、繁殖牛・肥育牛4,200頭、羊50頭をベースに、夢現塾の人たちの知恵を集めて次々と新しい農業モデルを開発し、近い将来北海道農業の、ひいては日本農業発展の一翼を担える存在になることを願っています。
農家に生まれ育った私にとって、農業は原点です。そして、北海道は青春時代の情熱を想い起こさせてくれる大地です。19歳の時に果たせなかった「北海道の開拓民となって、農業で成功する」という夢を、60年を経た今から、農業への熱意溢れる人々と一緒にやりとげること。これが私に課せられた最後の使命だと思っています。  プロミスの成長を見守りながら、平成元年から続けている国際協力事業と農業を合わせて、「人生三毛作」を達成すべく、私の考える「理想の農業」の確立に向けて、邁進していきます。